株式会社ボナンザ


「釣り文化〜これまでの釣り、これからの釣り〜」
川原直毅(かわはら・なおき)
母に訊くと、私は幼少の頃から独りで何かをするというのが好きなタイプの人間だったらしい。別に孤独感が好きという訳ではないが、好きなことであれば何事にもすぐに没頭する気がする。このような性格は人間誰しも持っていると思うが、凝り性というのは自分の世界観を形成させやすく、それは趣味などに最も現れる。

私が釣りをするようになったのは、亡父が自然に親しむことを教えたかったことに端を発していると思う。盆・正月に里帰りすると、必ず私は竹竿を持って小川に出掛けていたことを記憶している。釣具店では3本継ぎの竹竿が売られており、テグス(糸)、小さなピンポン玉のようなウキ、割りビシ(オモリ)、ハリとハリスが結んである仕掛けを一式購入しては一目散に釣り場へ走った。

鮒や鯉、ウグイ、ドンコ、ヤマメと釣れる魚は何でも良かったのである。釣れた魚を生かし魚篭(びく)に入れて得意満面の笑みで家に帰る。強面の父親に誇らしげに釣果を見せると、「こんなに釣れたか?!良かったな」と言われる。軍隊上がりの父親は怖い存在であったが、優しい一面も持っていたのである。

釣り好きはその後も続き、中学生になっても近くの池や自転車に乗って遠出していた。池では年配のオジサン達が小さな折り畳み椅子に座って何やら真剣にスリムな棒ウキを凝視して一瞬の手返しで箆鮒(ヘラブナ)を釣り上げている。私はこの釣りに思わず見入ってしまった。父親からは、釣りというのは「鮒に始まり鮒に終わる」とまるで諺のように言われていたが、固唾を飲んで見た箆鮒釣りはその道具一式といい、納竿後に魚篭から魚をリリースする光景にスポーツ的というか大人の釣りという感じがした。

その後、大学受験が終わるまで釣りは随分とご無沙汰になったが、大学生になってからは釣り物も川から海へと変わり、アルバイトをしては小金を貯めて釣具一式を購入して夏休みや冬休みなどは毎日釣り三昧の日々を送った。私が味を占めたのは夏場のキス釣り、早朝砂浜で波遊びと言われる貝をエサにキス釣りをし、この釣果を実家や近所で売り捌いたのである。また、河口近くではメイタ(小型チヌの九州の呼び名)やセイゴなどを釣り、とにかく釣りに興じていたのである。

そんな釣りキチの私に大きな人生の転機とひとつの出会いがあった。その当時、私は肺に突然穴が空いて呼吸困難となる自然気胸という病気に再三冒されて就職する機会を失い、ゼミの指導教授から大学院進学を勧められた。父親は私が銀行でも就職してくれればと思っていたらしいが、私は意に反して大学院へ進学することになった。大学院の指導教授は明治生まれの気骨な威厳のある先生でその厳しさは父親以上だった。“三歩下がって師の影踏まず”が当たり前で、“実証なくして語るべからず”がモットーの指導教授から学問のイロハと研究者魂、人生観を師の後姿から学んだつもりである。

しかし、私の釣り熱は止まることなくますますエスカレートし、学費は親に依存したが、学費以外は予備校、塾などのアルバイトをしてその殆どのお金を釣りに注ぎ込んだ。たまたま家庭教師をしていた先の親父さんが本格的な磯釣り師であったことから、私のひ弱な体を見て、潮風に当たると元気な体になると磯釣りを勧めてくれたことがさらに追い風となった。

それ以降、家庭教師をする傍ら週末に磯釣りに誘われてグレ、チヌ釣りを基本から教えてもらった。先ずは道具仕立てからと、釣具店で竿、リール、ウキ、道糸、ハリス、磯靴、レインギア、マキエバケツなどすべて一から十まで揃えて貰った。そんななか、グラスロッド全盛期にあって一際目を引いたのは、かつてわが国釣具メーカートップシェアを誇っていたオリムピック釣具から新発売された国産初のカーボンロッド純世紀だった。今も私の書斎部屋のクローゼットにはその当時の面影を残しながら存在感を顕にしている。また、リールはダイワ精工のSSシリーズがハイグレードだった。

当時の釣り雑誌は同人誌的な月刊誌であり、釣り団体の組織化が九州、関西、関東を中心に精力的だった。私はたまたま日本釣振興会の21世紀の釣りを考えるという懸賞論文に応募して奨励賞を貰い、それがきっかけで全九州釣りライター協会の入会を薦められた。釣り雑誌やスポーツ新聞の釣り欄に原稿を執筆し、新車で購入した車も僅か2年で9万キロ走破という釣り三昧、夜討ち朝駆けはなんのその、週3回の釣りも当たり前だった。私が30歳の頃から釣具業界も斜陽化し始め、メーカーの相次ぐ新製品の市場の投入は製品寿命の短サイクル化を一層早め、名うての釣り師はフィールドテスターやインストラクターなどメーカーの看板を担ぐ広告塔として利用されてきた。

この傾向は現在も変わらないが、成熟化した現在の市場では、すべての商品がブランド化されており、情報の氾濫、誇大広告、妄信的な一部のマニアなどの影響も手伝って、消費者である釣り人自身が製品の本当の良さを見極められなければならない状況になってきた。釣具の進歩は飛躍的であり、釣り方も時代と共にトレンドが生れた。また、対象魚も釣れる魚はなんでも市民権を与えられて多様化し、ファミリー・レジャー的要素が重要視されてきた。一方、グレ釣りやチヌ釣りでは競技志向が見られるが、イベント化したこれは氷山のほんの一角に過ぎない。楽しみ方は釣り人それぞれが決めることだが、笛吹けど釣り人踊らずと揶揄的だが、釣具業界の国内マーケットは年々縮小している。2007年に定年退職する団塊世代の一般的なマーケットはかなり大きな市場である。日本の釣り文化を今一度考える際にこれまでの釣りから見えるもの、そしてこれからの釣りを考えるに市場環境の変化はキーワードであるかもしれない。

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