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| 「釣具にこだわる」 |
| 川原直毅(かわはら・なおき) |
私が磯釣りにのめり込んだ32年前、年配釣り師のライフジャケットの背中には○○釣り倶楽部などと大きく刺繍がされており、若輩の私はさぞかしみんな釣りが上手いのだろうと憧れがあった。船長さんと釣り師は阿吽の呼吸のように、この磯は誰誰さん上がってと声を掛ける。一見客の私などはまるで相手にもされなかったが、それでも磯上がりしてみたい釣り場があると、私は「すみません、あの釣り場はどうですか」と訊くと、「あのポイントは今の時期は食わないよ。それでもいいなら上げてやるよ」と無愛想に言われたものだ。所詮、一見客は相手にされないのだろうか、同じ渡船料金を払っても待遇が違う気がしてならなかった。
しかし、納竿して回収の船に乗り込むと、年配の釣り師が「兄ちゃん、何か釣れたね?!」と、声を掛けてくれた。恐らく私が上がった磯は何も釣れないと思っていたことは船長さんも同じだったと思う。私は一端の釣り師のように釣れましたよと応えた。半信半疑の年配釣り師は「何が釣れた?」と言うので、私はチヌとグレと返事をすると、今度は真顔になって「魚は?型は?」と身を乗り出してきた。私は40リットルのクーラーを開けて魚を見せた。クーラーには40センチを超えるグレやチヌが満タンだった。にわかに船上が騒がしくなってきた。どうやら一級磯に瀬上がりした年配釣り師にはそれほど釣果がなかったようで矢継ぎ早に「兄ちゃん、仕掛けは?マキエは?ウキ下は?ハリスは何号?ハリは?」等など私は質問責めにあった。
ハリスはシーガーのフロロカーボン。当時はフロロカーボンハリスはシーガーの独占商品、ナイロンは柔らかくしなやかだが、根ズレなど強度の面でフロロカーボンハリスはナイロンハリスに比べて一枚上手であった。ウキは飛ばしウキとしてスーパーボール、アタリウキには小さな発砲の玉ウキを2、3個使っていた。当時はグレ釣りの本場の四国で円錐ウキがトレンドになっていたが、九州はまだ玉ウキで十分釣れていた。
私の釣果に驚いたのは年配釣り師だけではなかった。予想だにしなかった私の釣果に船長は狐にでも摘まれたような顔をして「兄ちゃん、あんた、釣りが上手いんやなぁ」と。船上では年配釣り師のボルテージが上がったのか、常連客に混じって帰港するまで会話が続いた。その日、私には運もあったのだろう。それほど潮を見る眼力はまだまだ幼稚だったと思うが、釣果は結果であるが、それはたまたま釣れたのではなく私は釣ったのである。
それから何度か同じ渡船を利用したが、グレやチヌなど釣果を見せる度に船長さんの私の見方が突然変わり、兄ちゃんから川原さんと名前で呼んでくれるようになった。私は常連客と顔馴染になって気軽に声を掛けてもらうことも嬉しかったが、船長さんの声掛けが何よりも嬉しかった。それと同時にグレ釣り、チヌ釣りに私なりのこだわりが出てきた。
まずはウキだった。大学院に通う傍ら、釣りに没頭する私は北九州でウキを製造している九州釣研究所というメーカーを紹介された。現在の樺゙研であるが、ここでひとつの出会いがあった。自らを田中釣心と名乗るウキメーカー社長・田中栄一氏である。連日、深夜までウキについて、グレ釣り、チヌ釣りについて議論が白熱した。私はこの小さなウキメーカーを何とか一流企業にしたいと勝手に思い、スポーツ新聞の釣り欄、釣り雑誌などに精力的に執筆し続けた。勿論、休みを利用して釣りに行っては次々とウキのフィールドテストをし、モニタリングしたウキはどんどんマスコミに紹介したのである。その時、自分に言い聞かせたのは今あるものの中の最高、それは自分の使う釣具はプライドを賭けた最高の釣具であること、こだわりのある釣具であった。
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★ボナンザとの出会い
釣具の進歩には目を見張るものがあった。カーボンロッドの登場でそれまでのグラスロッドは一気に影を潜め、リールにはレバーブレーキが搭載され、ウキも円錐ウキが主流となり、道糸、ハリス、ハリ、小物グッズ、ウェア、配合エサに至るまで業界が一様に活性化してきた。なかでもフロロカーボンの特許が切れた時期には、それまで満を持して待ち受けた各釣り糸メーカーはこぞってフロロカーボンのマーケットに参入を始めたのである。
その当時、釣り人の中には私と同じようにグレ釣りにはフロロカーボンハリス、チヌ釣りにはナイロンハリスといった具合に使い分けをしていた御仁も多いのではないだろうか。そんな最中、ナイロン道糸では釣り師の圧倒的支持を得ていた東レから待望のフロロカーボンハリスが登場することになった。
私はすでに大学院を卒業して当時の通産省特殊法人・中小企業事業団(現・中小企業基盤整備機構)の中小企業大学校・東京校の研究指導員になっていた。昼間はお役人仕事、毎週末は釣り師に変身して東北から九州の離島まで全国を飛び回っていたわけだ。中小企業大学校での仕事は、中小企業の経営者、管理者、後継者の教育プログラムの開発、そして研究事業である。大学院で中小企業論を専攻していた私には中小企業の現場に接することで経営の実態を学ぶ最適な環境にあった。
わが国産業の99%を占める中小企業のモノづくり、中小企業が故の販路開拓の困難さ、マーケティング力、製品開発力など様々な経営諸問題に触れることができ、また、これは私の大好きな釣りの業界にもそのまま当てはまるものであった。
折りしも東レの釣り糸を担当する産業資材部の木下さんという方と出会いがあった。フロロカーボンハリスの開発はもとより、販売促進のための方策などについてわざわざ東京に出向いて頂いたこともあり、また、磯釣りの本場である九州において名うての釣り師との意見交換の場を設定してヒアリング調査も行った。何はともあれ、東レからトヨフロンというフロロカーボンハリスが誕生した。勿論、改良の余地は沢山あったし、同時に道糸の開発にも余念が無かった。私は浮遊性のある道糸を提案し銀鱗PXという製品が完成した。製品をバックアップするための釣り人対策も関東、関西、九州と万全を期したつもりだった。
私は東京に居ながら東北、関東、中部、関西、九州の釣り雑誌にことごとく釣行文やハウツウ物を執筆した。そして、もうひとつ私の目に留まった釣具メーカーがあった。それは釣具のメンテナンスにこだわったボナンザという大阪のメーカーである。釣りは釣行時から帰宅して釣具を手入れするまでが釣りなのである。波しぶきや雨などで濡れた竿を少しでも放っておくと竿の表面には小さなブツブツ状のブリスター現象が起こり、せっかく手に入れたお気に入りの竿も台無しになる。ついつい後片付けが億劫になってそのままにして、竿の塗装が傷んだ釣り人も多いのではないだろうか。また、リールなどの金属部の錆や塗装の保護などボナンザ製品は釣り人に不可欠なアイテムだった。私は東レの木下さんの紹介でボナンザの岡本馨社長と会うことになった。 |
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